現役小児科医ママがおすすめする、親子でHappyな育児法!

小児科医ママかつNICUonline管理者の育児、診療日記です

ウンチという言葉

小さな子供は 
おしり〜、おなら〜
とか、
ウンチ〜、オチンチン〜
 
とか、そういう言葉が好きな時期がある
大人が、そんな汚い言葉使うの辞めなさい!というと、
面白がって所構わず言いまくる
特に男子
 
ウチの男子
 
おならブー、という言葉に反応してケラケラ笑いまくってるんだけど、
そんな英単語、教えてもないのに
 
Pee-Pee(おしっこ)
Poo-Poo(ウンチ)
 
のPoo-Pooの言葉に反応してゲラゲラ笑っていた。
Poo-Poo。。。
意味わかってるのかなぁ
 
 
 
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おでこのたんこぶ〜小児の頭部外傷

パパと子供が公園で遊んでいて
息子が転んで、たんこぶを作ったらしい
 
あまりのデコの腫れっぷりにビックリして
これ、大丈夫?と写メが送られてきた
 
 
ワォ!
これね、よくあるある、
大丈夫、とは完全には言えないんだけど、
まぁ、よくある。
そして、大概は大丈夫。
 
だけど、
私が小児科医ではなかったら、どうしただろう。
こういう我が子のプチ事件の時はいつも考える。
 
どうだろう?
まずはパパにメールだろうな。
救急病院行く?
ってな感じで相談するんだろう。
そして、両親そろって心配が募ったら、病院にいくんだろう。
 
帰ってきたパパに、聞いてみた
私『ねぇ、もし私が小児科医じゃなかったら、どうしてた?』
パパはちょっと考えてから、そんなこと思いもしなかった顔をして
『うーん、救急受診、してただろうなぁ。。。』
と。
 
子供は、まぁ、よく遊び、よく転ぶ。
なので、その『転ぶ』特徴を考えてみた。
 
①子供は大人に比較して頭部の体に占める割合が大きい。
 (ネットからフリーの画像持ってきました)
 
    
 この絵の感じ。どう?
 そう、子供は頭が体に比して大きくて重いから、頭から転びやすい。
 
②頭の骨(や硬膜、くも膜など)の作りが柔らかく、薄い
 ぶつけると骨が簡単に変形して、その下の脳にダメージを受けたり、
 硬膜外血腫とか、硬膜下血腫とか、つまり頭の骨の内側に出血したりして
 大変なことになってしまいやすい。
 私の覚書のために、専門的に言うと
 骨折線を伴わない陥没骨折、幅の広い線状骨折(解離性骨折)、縫合離開が多い
 線状骨折と骨縫合遺残の区別が難しい
 外力による変形の度合いが大きい
 直接損傷で受賞部直下に脳挫傷をきたしやすい、反衝損傷による体側の脳挫傷は少ない。
 なんて言う特徴がある
 
③骨縫合が弱くて離開しやすい
 
 この絵の感じが骨縫合。
 つまり、骨は何枚かの骨がくっついてできるってことで、この縫合の部分が
 外傷によって剥がれやすいって意味。
 
④子供は頭の血流が豊富なので、頭の出血は出血量が多くなりやすい
 だから、たんこぶなんかの内出血もブワッと血が出るから、コブも大きくなりやすいってわけ。
 よく、ぶつけたところを冷やすのは、
 冷却によって血管を収縮させて流を少なくして出血量を抑える、
 腫れを抑えるって意味があるってことになる。
 
ん。
まあ、大丈夫とは言えない。
でも、大概は大丈夫。
どうしたらいいのか、結論はないんだけど
 
子供は元気に外で遊んで欲しい
多少の危険を伴う冒険心も満たしてあげたい。
擦り傷、なんかの怪我は大いに作ってもいいだろう。
 
でも、遊びの中で
大事に至る怪我は大人が避けてあげなければならないし、
成長の中で、大きな怪我を避ける方法を
教えていかなきゃいけないんだなと思う。
 
 
 
参考;外傷初期診療ガイドライン JATEC
 
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夢の実現〜運動会のリレーの選手

小学校1年生の春の運動会
 
娘がリレーの選手代表に選ばれた
 
飛び抜けて運動神経のいい子に囲まれた保育園時代、
運動面ではトップクラスに躍り出る子ではなかったけど、
 
運動はいつも学年でビリだった私と違い、
運動会なんて大嫌いだった私とちがい
娘は運動のセンスはいいとは思っていた
 
リレーの選手でクラス代表とか
 
本当に本当に憧れていたから
我が子がそれになったなんて
 
なんて鼻が高い!
 
この嬉しさ、誰に伝えたらいいんだろう
 
 
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娘のクラスの中国人のお友達

娘は比較的閑静な住宅街の公立小学校の一年生になった
クラスには日本語の話せない
中国のお友達が一人いる
 
娘は、
おはようとか話せるよ、一緒に遊ぶよ
と言っていたけれど、
補助の先生がついていても
言葉の壁を超えられず、一人でいる瞬間が何度もあった
 
もうすぐアメリカに引っ越す娘は
英語は挨拶くらいしかできないし
現地の小学校で
こんな風になるのかなと思うと
 
なんだか、心が痛かった
 
今日の私は
言葉が通じないその子と、どうやって遊んだらいいか考えて、積極的に一緒に遊んでみようねと
娘に伝えた。
 
 
 
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学校公開日

昔は授業参観といったかもしれないけれど
今の公立小学校には学校公開日という日が何日か用意されていて、
その間のいつでも
我が子の様子を学校に見に行っていいらしい。
 
授業参観の特別な授業だけじゃなく
普段の子供の様子が見れてとてもいいのだけれど
一日中誰かしらの保護者に監視されているようで、
先生も大変だろうなぁとも思う。
 
私が見に行ったその日の授業は
生活
私の小学校時代には生活、なんて科目はなかったし
なんだ?的な感じだったけど
 
1年生のクラスの子供たちは
みんな校庭で輪になって
アサガオの種を自分の植木鉢に植えるという
授業を受けていた
 
連れて行った2歳の弟は
『あ、ねぇね!』
と言って、1年生の授業中の輪に入り込んで、
ちゃっかり、一番前の姉の隣に座って先生の話を聞いていた
 
周りのお友達も、
弟は来ちゃダメだよーなんて咎める子もいなくて
新米先生は授業に必死だったし
姉も、そのお友達たちも、うちの弟を受け入れてくれて、
あったかい気持ちになった
 
 
 
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抜けた毛の背景に隠れているもの、自閉症の円形脱毛症

この家族に寄り添って、私は自閉症を学んだというくらい、

大事にしてきた家族がいる

 

私の専門は新生児だから

だから、この子の療育センターや特別支援学校が軌道に乗った今、

通う場所は私のところではないのだけれど

お母さんは

毎日の日常のドタバタを報告に

毎月受診してくる

 

特別支援学校に入学して

放課後デイもうまく行きつつある

学校では良い担任の先生に恵まれたし

民間療育もうまく行っている

 

でも、

明らかに、この春、卒園、入学という大きなライフイベントをきっかけに

円形脱毛症になってしまった

言葉の話せないその子は、

生活の変化のストレスを母に教えることもできないし、

毛が抜けてしまったことを、

やだなぁとか、恥ずかしいなぁとか、も

感じることができないでいる

 

まずできることは

その子の抱えているストレスに寄り添うことが

大事で

脱毛の薬を使うことでも、帽子でどうやって隠すかでもない。

 

まだ、言葉で伝えられないその子には

今回のストレスを親が回避してあげたとしても

成長とともに、活動範囲は広がって

 

今後は

いろんな人に出会い、

そして、たくさんの環境変化というストレスが待ち構えてるんだろう。

 

最終的には言葉やそれ以外のコミュニケーション手段も学んで

親から巣立って元気に学校に行ったり、職を持ったり

暮らせるようになってほしい。

私には

そんな大きな目標があるのだけれど

 

家族にはまだ見えないようで、

もう少し、ゆっくり寄り添わなければいけなくて

少し、もどかしい感じがした

 

 

 

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気持ちをえぐられること;児童虐待を考える

虐待された赤ちゃんが入院することがある。
妊婦健診に全く行ってなくて、自宅で産まれた赤ちゃんが入院することがある。
望まれない子で、行き先がなく児童相談所に引き取られる予定の子も入院病棟にいることがある。
 
心理士を目指して勉強しているお友達が
私に壮大な疑問をぶつけてきた。
 
色々な患者背景に寄り添うと、
その複雑だったり、切ない状況に
まるで自分の心がもっていかれてしまい
尋常ではない心情になるという。
 
お医者さんをしていると、
そういう場面にたくさん出会うのに、
どうやって、自分の心を持っていかれないでやっているのか
それが大きな疑問だと。
 
私たち医者は、
子供の死に立ち会うこともあるし
虐待の子のように、愛されるべき親に愛されない子にも出会う。
 
私たち医者だって
そういった切ない場面に心を痛めないわけではない。
 
ただ、子供の最期に立ち会ったときは
泣き崩れる家族や看護婦さんとは違って、
実際にその場で取り乱す人は少ない。
 
もちろん、ずっと寄り添ってきた子供の最期が
悲しくて切ないものに変わりはない
ただ、
どうしてなんだろう。
 
看護師さんの中には、
担当患者さんの死の辛さに耐えられず、数日仕事に来れない人もいるし、
それも人としておかしくないと思う
 
医者は
辛い現実に対して、医学的な予測ができてしまうからなんだろうか。
それとも、死であったり、受け入れがたい事実であったり
その現実に、主治医として、それが最善の努力をしてきた結果であるからなんだろうか。
 
よくはわからない。
 
でも、その後も、いろんな辛い現実をずっと忘れることはないだろうし、
やってきた治療や対応が、選んできた選択肢の中で最善だったのか、ずっと自問自答し続けるんだろう。
 
切ない患者さんが、また一人。
 
どうして生まれてきたのかなと、思ってしまう。
骨折するほど打たれた頭は、ものすごく痛かっただろうに。
考えると、
ずっと
その子のことが頭から離れない。
 
 
 
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